(トップの写真は、バイオリンを背負ってお教室に向かう娘です)

Maya船長のコラムで事例として取り上げていただいた我が家の習い事損切り。船長から「超ハイレベルの損切り」と褒めてもらえると嬉しいですね。
せっかく取り上げてもらったので、当時僕が書いたブログをご紹介しつつ、その後の事を加筆しつつ、意思決定した時の気持ちをご紹介できればと思います。

▶あれは去年、年少さんの頃でした

娘も幼稚園生になり、色々習い事を入れようとしていた時期でした。バレエも候補だったのですが、レッスン時間の9割が柔軟体操と基礎レッスンのため、自由に踊りたい娘は断念。

代わりにはじめたのが「バイオリン」でした。バイオリンを習っていたのは結果的には4ヶ月ほど。リズムを覚え、弓の持ち方を覚え、バイオリンの構え方を覚え、ようやく最初の曲を弾き初め、翌月にはサントリーホールでの演奏会が控えていた頃です。

僕としては「はじめたばかりで勿体ない」「練習にかなりの時間と気持ちを使ったのに勿体ない」「楽器は練習が辛くとも続けるものだ」と思う気持ちもありながら、当時と今を比べるとやはり辞めて正解だったのだろうと思います。

▶バイオリンを辞めて良かったと思う理由

辞めてよかったと思う理由はいくつかあります。その大きな理由は「僕が娘を怒ることがなくなった」ということです。

前提として、バイオリンは、娘が自主的に選んだものではありません。音楽の習い事をさせたいという、僕の希望で選びました。(娘は最初から乗り気ではなかったのですが、あの手この手で憧れるようにしました)

僕自身が幼少期からピアノをやっていたこともあり、娘にもなにか音楽をやってもらいたい、と思ったのが理由です。
僕がやっていたピアノではなくバイオリンを選んだのは、ピアノに比べて、自分の力加減や弾き方で音色が劇的に変わるバイオリンの方が、音感を育てるのにプラスになるのではと思ったからです。

▶選んだのはガチめなお教室

バイオリン教室は僕が、先生や生徒さんの奏でる音をyoutubeで聞いて「ココだ!」と思うところを選びました。結果、自由に弾くバイオリン教室ではなく、ガチ目なお教室になりました。

・レッスンには親も同伴
・レッスンがない日も毎日練習(朝・昼・夕方と各回30分)
・小さな子でも持ち方はミリ単位で修正
・子供に教えるために親向けのバイオリンレッスンあり
・毎日の過ごし方をノートで報告

といった具合です。

僕は先生に言われたことを真面目に取り組みたい性格であり、先生から言われた課題をそのまま娘に課していました。

音楽は毎日やるもの。やるからには早く上手くなって欲しい。しかし、なかなか娘は僕の思うようには取り組んではくれません。

・バイオリンを持ってくれない
・自ら進んで練習してくれない
・やる気がない
・まっすぐに立ってくれない
・練習に集中してくれない
・教えた通りにやってくれない

こうやって書くと「そりゃそうだよね」と思うのですが、バイオリンを続けていくのであれば最初が重要だと考えていたので、どうしてキチンとやってくれないのか、と苛立ちを募らせてしまい、よく叱っていました。

▶真面目に練習をすればするほど、嫌われていくパパ

4歳の娘に、どうしてやってくれないのか、なんで続けられないのか。怒ったところで何かが変わるわけではなく、むしろ悪化する一方だということはわかっているのに、感情的に怒ってしまう毎日。

パパなんて大嫌い!と大泣きされたり、僕の怒った顔を真似るようになったり。幼稚園に行く前にひと悶着。泣いてから登園するという日が続きました。

だんだん娘自身も怒りっぽくなり、親子関係は最悪でした。

僕は自由に働ける仕事のため、生まれてから妻と同じくらい娘と一緒に過ごしていますが、パパが大好きな時期は来たことがありません。

パパが大好きとはならなくても、パパが大嫌いというのは辛いですし、そんな事を言う娘に苛立ち、余計に怒る日々が続きました。

▶なんのために音楽を選んだのか

ある日、ふっと、なぜ僕は娘に音楽をさせたかったのかを思いました。

プロにさせたいわけでもなく、別に上手くならなくてもいい。ただ、音楽ができることで人生が豊かになってほしい、と思いはじめました。

人生を豊かにする。それが目的であるとするのであれば、バイオリンが弾けるようになった未来と、父親に毎日怒られ続けた幼少期を過ごした未来と、どちらが豊かな人生に繋がるのだろうか。

そう考えたときに「なんで出来ないの!やりなさい!」と怒られることなく、のびのびと、仲良く、毎日を過ごした先にある未来のほうが豊かになるのではないかと思ったのでした。

▶音楽ができること、と親子関係

僕自身、ピアノの先生だった母親から叱られながらピアノの練習に取り組んでいた頃のことを、今でもよく覚えています。

ピアノの前に立つのが怖く、練習中も逃げ出していました。泣きながら音当てをし続けたり、やりたくもないバイエルに取り組まされたり、その苦痛はありありと思い出せます。

その痛みと引き換えに僕は絶対音感をみにつけ、音楽ができるという武器を手に入れ、その恩恵も受けてきましたが、果たしてそれは、幼少期の親との関係性を犠牲にしてでも手に入れる価値のあるものだったのか。

楽器の練習と娘との関係を両立できれば良かったのですが、僕には難しく精神的にも限界だったため

「子どもと、家族と、仲良く、暮らす」

を叶えられる方法=バイオリンを辞める。を選びました。
いつも一緒に仲良く親と暮らした、という記憶を保ったまま育つ。それは娘の人生に光をもたらしてくれるのではないかと思ったのです。

▶色んな世界をみせる、選んだものができる環境をつくる

なにかを習わせる、なにかを学ばせる。子どもになにかを「させる」ことを強いるのではなく「子どもに色んな世界を見せる」ということに責任を持つ、ということに切り替えました。

強いるのは、子どもに対してではなく、自分に対して。

子どもは、自分の世界の中にないものは、想像することも選ぶこともできません。

その選択肢の幅を広げ「自分は何が好きなのか」を把握し、やりたいと思えばそれを思いっきり続けられる環境をつくってあげることが、僕ががやるべき第一のことなのではないか、と考えるようになりました。

コンサートに行ったり、ミュージカルを観たり、リス園に行ったり(町田リス園が好きです)、乗馬をしたり、スキーやスケートをしたり。

色んな世界を一緒に体験した上で、娘が自主的に、やりたいと選択したものを応援する、ということを今は意識してやっています。

▶バイオリンを辞めたあと3ヶ月間の変化

バイオリンを辞めて3ヶ月が経ちました。

娘は、怒られる事や決められた練習は嫌だけれど、バイオリンは好き。と言っています。たまにひとりで自主的にバイオリンを弾いています。音楽も好きだそうです。

怒りっぽかった所も落ち着き、何より、この3ヶ月の間に「パパ大好き」「ママよりパパが良い」とパパ好き期がついに、ついに訪れました!

僕が出かけようとすると「寂しいから行かないで、早く帰ってきてね」と泣くように。泣くのは可愛そうですが、はじめての事ですし、もうパパは嬉しくて出かけられません。

あと、幼稚園で先生とバイオリンの話が出たときに「親子関係が悪化したので辞めました。いまは関係も良くなりました」といった内容を伝えると「あー、なるほど」という回答が。

どうやら僕と関係が悪化している間、幼稚園でもお友達に強い口調になっていたようで、バイオリンを辞めたあたりから元に戻ったらしく、先生はその変化の理由に納得したようでした。

一時は壁に飾ってある1/16サイズのバイオリンをみると悲しい気持ちになっていましたが、1年経ったいまでは、あのときに辞めてよかった。と思います。
幼少期からずっとバイオリンを続けたという未来はもう見れませんが、選んだ選択肢を正解にしたいですし、僕は僕自身で母親が与えてくれた音楽という世界を楽しんでいきたいと思っています。

▶現在の習い事

年中になったいまは、通いの習い事としては「英語と水泳」です。

英語は年少の夏から、水泳は年中の春からはじめました。水泳は楽しそうに通っています。英語は時々「行きたくない」と言うのですが、英語がイヤな訳ではなく、時間が長い、今日は疲れた。といった理由です。

英語は「させている」のですが、娘も英語は習い事というより「Sayaちゃんが話す言語、世界のお友達と話すのに必要なもの、パパとママは教えられないもの」という認識のようです。

スクールは完全におまかせなので親子関係は悪化しないのですが、オンライン英会話はダメですね。「もっと大きな声で話して」とイライラするので、妻に担当してもらっています。

先日のバレリーナのLenaさんの配信でもあったように、親として最大限のエールを贈りながら、でも過度な期待はせず、いざというときに備えて環境を整えたいと思っています。